指導というもの

学習というものを0から10のステップにわけるとすると
物事を学習する段階には3つの山があると俺は思っています。
まず第一段階は0から1の段階。
すなわち「完全なる無知状態(0)」から「その分野にどういったものがあるのかのインデックスを
頭のなかで整理できた状態(1) 」。
この0から1への変化は質的には極めて違いが大きいですが、
到達するのは意外と容易です。
ようは、知ってる奴に聞けばいいんです。
説明する側も、この段階の説明ならばすごく簡単にできるはずです。
ただ、自分で0から調べるとなると、1に到達するのに、予想外に労力を
費やしてしまう場合もあります。
で、実は、1がわかると、1から8までは意外とスムーズに到達できるものだと思います。
学習量的には多いかもしれませんが、やればやるほどどんどん身につくと実感できるのは
この状態でしょう。
次に第二段階の山は8から10への段階。
この状態の学習というのは、普通の人は知らないけど知ってる人は知っているというような、
マニアックな課題が多くなっているはずです。
当然難易度もあがるはずです。
そして周囲に知っている人も少なくなっていることでしょう。
よって、0から8にかけたのと同じぐらいの労力を8から10への過程では費やしてしまう場合が
多いかもしれません。
最後に第三段階の山は10から12への段階。
つまり、誰もやっていない領域に踏み込む場合です。
この段階まで到達できればあなたは、その分野でエキスパートとよばれているでしょう。
誰もやっていないことをやっているのですから、当然周囲に聞ける人など皆無です。
が、俺がもっとも面白い段階と思っているのはこの段階です。
企業としても稼げる仕事というのはこの段階ではないでしょうか?
■■■
・・・でだ。
実際の職場環境に目を移すと、部下が上司に求めている指導というのは、
まぁ、第一段階の手助けな訳ですよ。
何も0から10まで教えてもらおうとは思っちゃいないのよ。
ただ、0から1の過程は教えて欲しいのよ。
0の状態から勉強するのと1の状態から勉強するのでは、
学習のスピードに大きな違いがでるからね。
その分野の人間なら誰でも知ってる知識の習得に時間はかけたくないのよ。
で、世の中には、0から1の指導もしやがらねぇタコが多いわけよ。
0から1の指導っていうのは、教える側からすれば大した労力はいらないはずだ。
「この分野にはこういうことがあって、こういう所を調べれば色々のってるはずだから
勉強してみてくれ」って言うだけでいいんだもん。
「仕事は盗んで覚えるもんだ」←俺たちは料理人じゃない会社員だ
「自分で調べろ」←言われた方は何を調べればいいかすらわからない
とかの一点張りの時代遅れの職人かぶれはさっさと消えろ。
これだけ個々人の意識が多様化してきている時代において、
何もせずに阿吽の呼吸を期待するのは間違っている・・・・と思う。
上司も最低限やって欲しいことについては、的確に指示を出し、
自分の考えをきちんと伝え、コミュニケーションを図る努力をしなくてはいけない。
部下だって、そういう真摯な上司に対しては、指示以外の付加価値をもって
答えてやろうという気になる。
ただ、えらそうに踏ん反りかえって、部下が自分の意図する通りに動かなかったらいきなり
ブチ切れる(当然のように自分からは何も指示しない)。
そんなクソは、いらんし、絶対、そんな奴にはならない。

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